紅茶の味が変わった気がした。
王立図書館の最上階。私、シルフィード・エル・ヴァレンディアにとって、午後3時のティータイムは何者にも邪魔されてはならない神聖な儀式だ。
カップに注がれたのは、最高級の「妖精茶葉(フェアリー・リーフ)」のはずだった。透き通るような翡翠色と、森の朝露を思わせる芳醇な香り。それを楽しむために、私はわざわざ1200年も生きていると言っても過言ではない。
しかし、今、私の舌の上にあるのは、泥水に錆びた鉄釘を漬け込んだような奇怪な液体だった。
「……何かしら、これ」
カップをソーサーに戻し、私は顔を上げた。視界に入ってきたのは、いつもと同じ風景――ではなかった。
窓の外に広がっていたはずの「世界樹の森」が消え失せている。代わりにそこにあったのは、見渡す限りの焦土と、空を黒く染める工場の煙だった。
鳥のさえずりは聞こえない。遠くで重苦しい金属音と、何かを爆破するような低い振動が響いている。
「またか」
私はため息をついた。1000年も生きていると、こういう事態には慣れっこになる。歴史改変(タイム・シフト)。過去のどこかで誰かが余計なことをしたせいで、現在の世界が書き換わってしまったのだ。
「総司令官! 大変です!」
司書の女の子が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。彼女の制服は、さっきまでの清楚なローブではなく、迷彩柄の無骨な軍服に変わっている。
「西方戦線の『鉄巨神』が暴走しました! この第3要塞図書館にも砲撃が来ます!」
「要塞図書館?」
「はい? 何をおっしゃってるんですか、シルフィード総司令官。ここは対ドラゴン迎撃の最重要拠点じゃないですか」
やれやれ。今回の改変は、また随分と殺伐とした世界になったものだ。私は「総司令官」と呼ばれたことに内心で苦笑しながら、カップに残った泥水のようなコーヒー(どうやらコーヒーに歴史が変わったらしい)を見つめた。
私の種族、ハイ・エルフには特殊な形質がある。『古の血(エルダー・ブラッド)』。世界の理(ことわり)が書き換わっても、私たちの魂と記憶だけは、その影響を受けずに「固定」され続ける。つまり、世界中の人間が「今は戦争中だ」と信じ込んでいても、私だけは「さっきまで平和な森だった」ことを知っているのだ。
「悪いけど、避難準備は任せるわ。私には待ち人が来るようだから」
「えっ? 待ち人……ですか?」
部下が困惑したその時、部屋の空間がバチバチと青白い火花を散らした。空間転移の光。現れたのは、奇妙な銀色のスーツを着た人間の青年だった。手には杖ではなく、武骨な金属製の筒――未来の武器を持っている。
「よう、久しぶりだな『観測者』」青年は、私を見てニヤリと笑った。「いや、今の時間軸だと『初めまして』になるのか? 俺はカイル。時空犯罪取締局のエージェントだ」
「カイルね。覚えているわよ。3回前の改変の時に、私の秘蔵のワインを勝手に飲んだ男でしょ」
私が即答すると、青年カイルは目を丸くし、それから嬉しそうに口笛を吹いた。「さすがハイ・エルフ。話が早くて助かるぜ。今回の『揺らぎ』も検知してるな?」
「ええ。酷い有様よ。私の美味しい紅茶と、平和な昼寝の時間を返してほしいわ」
私は席を立ち、窓枠に腰掛けた。眼下に広がる荒野には、巨大な機械仕掛けの竜が闊歩している。本来の歴史には存在しないはずの、「魔導科学」の産物だ。
「それで? 誰が何をしくじったら、こんな魔導パンクな世界になるの?」
「500年前だ」カイルは端末を操作しながら答えた。「英雄アラン。彼が魔王討伐に向かった『あの日』に、何者かが介入した。本来ならアランが勝つはずの戦いで、何かが起きたんだ」
「500年前……」記憶の糸をたぐる。鮮明に思い出せる。あの日、私はアランのパーティに回復役として同行していた(暇つぶし半分で)。彼は勝ったはずだ。私が最後の祝杯をあげたのを覚えている。
「つまり、誰かがアランを殺した?」
「あるいは、負けさせた。どっちにしろ、お前の『正しい記憶』が必要だ。この世界を元に戻すために、案内役を頼めるか?」
カイルが手を差し出す。私はチラリと自分のカップを見た。不味いコーヒー。埃っぽい空気。戦争の騒音。こんな世界であと1000年も生きるのは御免だ。
「いいわ。ただし、報酬は弾むことね」
「未来の年代物(ヴィンテージ)ワインでどうだ?」
「交渉成立」
私はその手を取った。世界が歪む音が聞こえる。私とカイルの姿は、光の中に溶け、500年前の戦場へと跳躍した。
光のトンネルを抜けた瞬間、鼻をついたのは鉄錆と火薬の匂いではなかった。湿った土、若草、そして濃密な魔力の匂い。私のよく知っている「500年前の空気」だ。
「……到着だ。座標誤差、修正完了」
カイルの声と共に、視界が開ける。私たちは深い森の中に立っていた。巨木の枝葉が空を覆い、木漏れ日が苔むした岩肌を照らしている。
「懐かしいわね。この場所、この時代の湿度。肌の乾燥を気にしなくて済むわ」私は大きく深呼吸をした。やはり過去の空気は美味しい。未来の排気ガスとは雲泥の差だ。
「おい、観光気分か? ここは戦場の真っ只中だぞ」カイルが呆れたように言いながら、左腕の端末を操作する。空中にホログラム地図が展開された。「現在時刻は午後2時50分。英雄アランが魔王城に突入する10分前だ」
500年前の今日。勇者アラン率いる「希望の光パーティ」は、この「嘆きの森」を抜け、魔王城の正門を突破した。その激戦の最中、アランは何者かの妨害を受けて致命傷を負い――本来の歴史では負わないはずの傷だ――敗北する。それが改変された歴史の起点だ。
「アランたちの位置は?」「北東へ3キロ。かなりの速度で移動中だ。……待て、熱源反応がおかしい」カイルの眉が動く。「大型の生体反応が多数、アランたちを取り囲んでいる。魔物じゃない。この熱パターンは……」
ズズーン、と地面が揺れた。遠くから響く、重苦しい足音。それは魔獣の咆哮とは違う、もっと野蛮で、原始的な捕食者の気配だった。
「ギャオオオオオオオッ!!」
空気をビリビリと震わせる咆哮。木々がなぎ倒される音が近づいてくる。私は思わず耳を塞いだ。
「何よ、今の声。ドラゴン? にしては品がないわね」
「最悪だ……。犯人の仕業か」カイルが苦々しい顔で銃を構える。「シル、走るぞ! アランが食われる前に追いつかないと、歴史終了だ!」
私たちは森を駆けた。ハイ・エルフの身体能力は人間を遥かに凌駕する。風をまとい、木の枝から枝へと飛び移りながら、カイルの先導で現場へ急行する。
そして、視界が開けた場所で、私は信じられない光景を目にした。
開けた湿地帯。そこに英雄アランと、仲間たち(女賢者とドワーフの戦士)がいた。彼らが剣と杖を構えて対峙しているのは、魔王軍の兵士ではない。
全長10メートルを超える、巨大な爬虫類。太い脚、小さな前足、そして剣さえ噛み砕きそうな巨大な顎。博物館の化石でしか見たことのない生物が、生きたまま――それも10頭近い群れで、彼らを包囲していたのだ。
「ティラノサウルス……!? なんで白亜紀の生物がここにいるんだよ!」カイルが叫ぶ。
「ティラノ? あのトカゲのこと?」
「ただのトカゲじゃない! 魔法防御なんて持ってないが、純粋な筋肉の塊だ!」
アランが聖剣を振るうが、ティラノサウルスの太い尻尾に弾き飛ばされるのが見えた。魔法使いの炎も、分厚い皮膚と筋肉に阻まれて決定打になっていない。魔法生物なら「魔力」に干渉して無力化できるが、純粋な「質量」と「暴力」には、魔法は相性が悪いのだ。
「なるほどね。魔王軍に対抗するための魔法防御を貫通するために、あえて『魔法のない時代の生物』を連れてきたってわけか」私は犯人の手口に感心しつつ、指先を空に向けた。
「カイル、援護するわよ。貴方の未来オモチャと、私の古代魔法――どっちが恐竜退治に向いてるか勝負ね」
「ハッ、望むところだ!」
カイルが銃のセーフティを外す。私は静かに詠唱を始めた。1200年の魔力が、大気に満ちる。午後3時のお茶会を邪魔した報い、たっぷりと受けてもらうわ。
「――穿て!『真空の刃(ヴォーパル・エッジ)』!」
私が指を弾くと同時に、不可視の鎌風が森を駆け抜けた。先頭でアランに襲いかかろうとしていたティラノサウルスの巨体が、一瞬で三枚おろしになって崩れ落ちる。鮮血が舞うよりも早く、私は次の詠唱に入った。
「ギャッ!?」突然の仲間の死に、後続の恐竜たちが足を止めた。その隙を見逃すカイルではない。
「ターゲットロック。重力子弾(グラビティ・バレット)、発射」
カイルが構えた筒状の武器――携行型レールガンが、パスッという間抜けな音を立てた。しかし、その威力は決して間抜けではない。放たれた極小の弾丸は、別のティラノサウルスの眉間に着弾した瞬間、凄まじい衝撃波を撒き散らして頭部を粉砕した。
「グルルァアッ!?」
「な、なんだ!?」
勇者アランと、その仲間たちが呆然とこちらを見る。ドワーフの戦士が斧を取り落とし、女賢者が杖を握りしめたまま固まっている。無理もない。見たこともない銀色の服を着た男と、見知ったはずのエルフが、圧倒的な火力で怪物を蹂躙しているのだから。
「アラン! ボケっとしてないで伏せなさい! 尻尾が来るわよ!」
「えっ、シルフィード!? なんでそこに……?」
アランが反応するのと同時に、生き残ったティラノサウルスが怒り狂って太い尻尾を振り回した。私は舌打ちをして、短距離転移(ブリンク)でアランの前に割り込む。
「『風壁(ウィンド・シールド)』!」
展開した魔力障壁に、数トンの質量が激突する。衝撃が壁越しに伝わり、私の足元の地面がひび割れた。さすがは白亜紀の覇者、物理攻撃力だけならドラゴンの爪より重いかもしれない。
「カイル、あと何匹!」「右翼に3、左に2! 包囲されてるぞ!」
「多いわね……! まとめて消し飛ばすから、耳を塞いで!」
私はありあわせの木の枝を掲げた。「古の盟約に従い、大気よ、我が敵を断ち切れ――『嵐神の乱舞(テンペスト・ダンス)』!」
局地的な竜巻が発生した。それは無数のカマイタチを含んだ暴風となり、恐竜の群れを呑み込む。硬い鱗も筋肉も関係ない。魔力で鋭利化された風の刃が、物理法則を無視して巨体を切り刻んでいく。
数秒後。嵐が去った後には、静寂と、変わり果てた肉塊の山だけが残されていた。
「……ふぅ。久しぶりに本気を出したわ」私は額の汗を拭い、放り投げた木の枝が炭化して崩れるのを見送った。肩で息をしているアランたちの方を振り返る。
「無事ね、アラン。それと愉快な仲間たち」
金髪の青年勇者、アランは、目を皿のように丸くして私を見ていた。「シ、シルフィード……なのか? お前、さっきまで後ろで回復魔法を……いや、あれ? どこに行った?」
アランがキョロキョロと周囲を見回す。どうやら「過去の私」は、乱戦の最中にどこかへ吹き飛ばされたか、あるいは歴史改変の影響で一時的に存在が希薄になっているらしい。好都合だ。
「細かいことは気にしないの。それより、怪我はない?」
「あ、ああ……おかげで助かったけど。その服はどうしたんだ? それに、あの魔法は……」
アランの視線が、私の着ている「未来風のローブ(と言いつつ、実は図書館で寝泊まりしていた時のジャージに近い部屋着)」と、隣に立つカイルに向けられる。
「俺はカイル。……東の島国から来た旅の行商人だ」カイルがすかさず嘘をついた。レールガンを背中に隠しながら、営業スマイルを浮かべる。「彼女には護衛を頼んでましてね。珍しい強力な魔道具(アーティファクト)を扱っているんです」
「行商人……? その鉄の筒が?」女賢者が怪訝そうに眉をひそめる。彼女は勘が鋭いタイプだ。要注意ね。
「ええ、まあ。最新型の……『杖』ですよ」カイルが苦しい言い訳をする。私は話の腰を折るように、手を叩いた。
「挨拶は後回し。ここも安全じゃないわ。血の匂いに釣られて、もっと厄介なのが来るかもしれない」私は地面に転がるティラノサウルスの死骸を顎でしゃくった。「それに、このトカゲたち。自然発生したものじゃないわよね?」
アランの顔が引き締まる。「ああ。魔王軍の仕業だ。あいつら、見たことのない怪物を召喚してきやがった。魔法が効かない『生きた攻城兵器』だ」
「やっぱりね」カイルと目配せをする。犯人は、魔王軍にこの生物兵器――恐竜を提供し、アランたちを抹殺させようとしたのだ。
「とりあえず移動しましょう。アラン、貴方の作戦通り、魔王城へ向かうのよ」
「えっ? いや、こんな消耗状態で突入なんて無理だ! 一度撤退して体勢を……」
「ダメよ」私はアランの言葉を遮った。歴史通りなら、彼はここで突入し、魔王を倒さなければならない。撤退すれば、その時点で「魔王生存ルート」が確定し、未来は変わらないままだ。
「行商人カイルさんが強力なポーションを持ってるわ。ね?」
「……へいへい。とっておきの『超回復ドリンク(未来のエナジードリンク)』がありますよ」
カイルが懐から、極彩色の缶を取り出した。さあ、歴史修正の始まりだ。勇者アラン、貴方には今日、絶対に魔王を倒してもらわなきゃ困るのよ。私のティータイムのために。
魔王城への道中、私たちは奇妙な静けさの中にいた。カイルの「未来のエナジードリンク」によって全回復したアランたちは、驚くべき速度で進軍していた。カフェインとタウリンの過剰摂取による異常なハイテンションだ。
「おい、このまま突っ込んで大丈夫なのか? 罠があるかもしれないぞ」カイルが小声で囁く。
「大丈夫よ。私の記憶通りなら、ここの警備兵は昨日の宴会で二日酔いのはずだから」
「1200年前の二日酔い事情まで覚えてるのかよ」
軽口を叩きながら、私は周囲の魔力の揺らぎを警戒していた。恐竜をけしかけた「犯人」が、まだ近くに潜んでいるはずだ。
そして、魔王の玉座の間、その巨大な扉の前で、予想外の事態が起きた。
「止まれ!」
鋭い声と共に、影から何者かが飛び出した。黒いフードを被った小柄な人影。手には、この時代には存在しないはずの自動拳銃が握られている。
「そこまでだ、英雄アラン。この扉を開けるな。俺は……お前たちを救いに来たんだ!」
カイルが素早く反応し、私の前に出る。「銃を下ろせ。そいつは未来の武器だろ? お前もタイムトラベラーか」
「……時空犯罪局の犬かよ」少年がこちらを睨みつける。「邪魔をするな。俺はただ、歴史を守りたいだけだ」
「守る? 恐竜をけしかけて英雄を殺すことがか?」
「殺せば一番早かった。でも失敗した。だからこうして直接説得に来たんだ」
少年は銃の安全装置をかけ、フードを脱いだ。現れたのは、あどけない顔立ちの少年だった。その瞳には、深い絶望の色が浮かんでいる。
「聞いてくれ、アラン。お前が今日、魔王を倒すとどうなるか知っているか?」
「はあ? 魔王を倒せば世界は平和になるに決まってるだろう!」
「平和になるさ。……たった100年だけな」少年は冷たく言い放った。「魔王がいなくなったことで、人間同士の争いが再開する。魔法技術は軍事に転用され、核魔法が開発され、最終的に世界は大戦で滅ぶんだよ!
俺の生まれた未来じゃ、人類は絶滅寸前なんだ!」
「ハ……?
何言ってるんだ?」カイルが呆れたように割り込んだ。「おいおい、妄想もいい加減にしろよ。俺の端末に入ってる歴史データじゃ、アランの勝利後は『大魔法文明(ゴールデン・エイジ)』が始まって、500年間ずっと平和だったと記録されてるぞ?」
カイルは端末を少年に突きつけた。「ほら見ろ。教科書通りなら、人類は空飛ぶ都市を作り、飢餓も病気もないユートピアを築くはずだ。滅ぶなんてありえない」
「教科書通り……?」少年はカイルを睨み、そして憐れむような目をした。「お前、なんにも知らないんだな。その『平和な教科書』が、誰によって書かれたものなのか」
「あ……?」カイルが言葉を詰まらせる。「どういう意味だ?」
「実際の歴史じゃ、世界は一度滅んだんだよ! でも、誰かが……おそらく『何者か』が、裏から歴史をいじくって、無理やり平和に見せかけたんだ。お前の生きてる未来は、誰かの作為によって作られた『修正版』なんだよ!」
少年の叫びが響く。カイルは動揺し、私の方を振り返った。「おい、シル……こいつの言ってること、まさか……」
私は静かに頷いた。「彼の言う通りよ。何の介入もなければ、世界は100年後に滅ぶ。それが『自然な流れ』」
「じゃあ、俺の知ってるあの豊かな未来は……」
「私が作ったのよ」
「は……?」アランとカイルの声が重なった。
「滅びる未来なんて美しくないし、私のティータイムが台無しでしょ? だから、私が歴史の裏側でコソコソと(時には物理的に)介入して、無理やり平和にしたの。……それが、カイル。貴方の知っている『正しい歴史』の正体よ」
「なっ……!?」カイルが絶句する。「じゃあ、俺はずっと……あんたの手のひらの上で踊らされてたってことか?」
「人聞きが悪いわね。守ってあげてたと言いなさい」私は不敵に笑った。
少年が震える声で尋ねる。「じゃあ、あんたは……これからも、ずっと監視し続けるつもりなのか? 人類が滅びないように、500年も?」
「ええ、そのつもり。退屈しのぎにはちょうどいいわ。……アラン、行きなさい。魔王を倒して、英雄になりなさい」
「で、でもシルフィード! 俺が勝ったら世界が……」アランが迷う。
「アンタが勝った後、人間どもが暴走しないように、私が徹底的に躾(しつけ)てあげるって言ってるのよ」私はアランの背中をバシッと叩いた。「安心しなさい。世界平和も、貴方の命も、全部私が管理してあげるから」
アランの顔に、迷いが消えた。カイルはまだ呆然としていたが、やがて力なく笑った。「参ったな……。俺たちは歴史を守ってるつもりで、実はあんたに守られてたってわけか……」
「分かったら仕事に戻るわよ。さあ、扉を開けなさい、英雄アラン!」
魔王城の大広間は、静寂に包まれていた。玉座に鎮座していた魔王――巨大な角を持つ漆黒の巨躯が、ゆっくりと崩れ落ちる。その胸には、英雄アランの聖剣が突き立っていた。
「……終わった」アランが荒い息を吐きながら、剣を引き抜く。本来の歴史では相討ちに近い激戦だったはずだが、今回は違う。カイルの「未来兵器」による援護射撃と、私の「大人気ない全力魔法」があったおかげで、魔王は変身する暇すら与えられずに沈黙した。
「あっけない幕切れね」私が呟くと、カイルが苦笑した。「俺たちの火力がオーバーキルすぎたんだよ。でもまあ……これで『正しい歴史(=あんたが作った歴史)』に繋がるわけか」
部屋の隅では、あの暗殺者の少年がへたり込んでいた。「本当に……大丈夫なのか? 僕の知ってる未来みたいに、ならないのか?」
「ならないわよ」私は彼に歩み寄り、その頭を杖(木の枝)で軽く小突いた。「私が『教育係』になるって言ったでしょ。100年後の危機も、200年後の危機も、全部私が事前に摘み取ってあげる」
「……気が遠くなる話だな」カイルが呆れたように言う。「俺の時代まで500年だぞ? ずっと一人で見張るつもりか?」
「一人じゃないわよ」
私は振り返り、アランたちを見た。そして、傍らに立つカイルにも視線を向ける。
「とりあえず、手始めにコイツね。アラン、貴方はこれから国に戻って英雄として讃えられるでしょう。でも、調子に乗って権力を振りかざしたり、軍拡を始めたりしたら……」
私はニッコリと笑って、指をパチンと鳴らした。魔王の死骸が、突如として炎に包まれ、一瞬で灰燼に帰す。
「私が夜枕元に立って、お仕置きするから覚悟なさい」
「ヒッ……!?」アランが悲鳴を上げ、直立不動の姿勢をとった。「は、はい! 肝に銘じます! 世界平和、絶対遵守! 軍縮推進!」
「よし」私は満足して頷き、カイルに向き直った。「さて、カイル。貴方の仕事も終わりね。少年を連れて未来へお帰り。……彼には『平和になった別の未来』を見せてあげなさい」
「ああ、そうするよ。……しかし、俺のこの銀色のスーツも、ハイテクな武器も、全部あんたの『教育』の賜物だったとはな」カイルは自分の装備を見下ろし、複雑そうな顔をした。「感謝するよ、おばあちゃん。おかげで俺は平和な時代に生まれた」
「誰がおばあちゃんよ。お姉様と呼びなさい」
「へいへい。……次に会うときは、最高級のワインを持ってくるよ。あんたが作った平和なブドウ園で育ったやつをな」
カイルは少年の肩を抱き、転送装置を起動させた。光の粒子が彼らを包み込む。
「じゃあな、シルフィード。……これからも、俺たちの歴史を頼んだぜ」
「ええ。任せなさい」
光が弾け、二人の姿が消えた。後に残されたのは、英雄アランたちと私だけ。
アランがおずおずと尋ねてくる。「あの、シルフィード。これからどうするんだ? 一緒に凱旋パレードに……」
「パスよ。私は人混みが嫌いなの」私は背を向け、手を振った。「私は私の場所(図書館)に戻るわ。貴方たちが馬鹿な真似をしないか、遠くから見張らせてもらうから」
***
そして、現在。王立図書館の最上階。
私は窓辺の特等席に座り、湯気の立つティーカップを手に取った。
「……うん、悪くない」
口に含んだ紅茶は、泥水ではなく、芳醇な「妖精茶葉(フェアリー・リーフ)」の香りだった。窓の外を見下ろす。そこには、灰色の空も、無骨な要塞もなかった。緑豊かな森と、平和な城下町。空には飛空艇ではなく、白い鳥が舞っている。
魔法文明はそれなりに発達しているようだが、かつて見た「魔導パンクな戦争世界」ほど殺伐としてはいない。どうやら、私がこの500年間、歴史の裏側でコソコソと(時には物理的に)介入し続けた成果が出たらしい。
「館長、お客様です」司書の女の子が扉をノックした。「銀色の服を着た青年なんですが、『約束のワインを持ってきた』と」
私はカップを置き、口元を緩めた。どうやら、私の教育は成功したらしい。
「通して頂戴。……今日はとびきり長いお茶会になりそうね」
「正しい歴史」の森と、「破滅した未来」の機械都市
Sylphide
時を渡るハイエルフの図書館長
Kyle
未来から来た時空犯罪取締官